プチひきこもりの、介護日記

両親介護 認知症 シングル 50代 プチひきこもり

喪中はがき

父の昔の同僚に喪中葉書を出しました。

その中の1人から電話がありました。

とても驚いていました。

私が学生の頃、父の職場で2週間ほどアルバイトした時にお世話になった方でした。

私が病気で引きこもっていたのを知っていて、電話での私の声を聞いて「元気になったのね、良かった。ずっと気になってたのよ」

40年近く前に少し会っただけなのですが、本当に心配していれくれたのが伝わる話し方でした。

多分、父の人柄のおかげでしょう。

私の病気は治った訳ではないので、人と話すのはすごく疲れるし苦手なのですが、いろいろ問われると自然に言葉がで出来ました。

喪中の挨拶ですが、父が亡くなって1年近くになるので、湿った感じではなく、懐かしく話すことができました。

これも父の人柄のおかげだと思います。

亡くなってから気づかされることも多いです。

 

 

 

 

母はもう会話ができません。

口にするのは単語だけ。

それもほとんどが「お父さん!」

父が亡くなる前は、「お父ちゃん」「お母ちゃん」「姉ちゃん」と呼んでいたのが、今は「お父さん」

父が亡くなったことははっきりとはわからなくても、母なりに不安を感じているのかもしれません。

他にも「痛い」「はい」と言うことはあります。

少し前までは、たまに思いがけない言葉を発し、周りを驚かせたり笑わせることもありましたが今ではほとんどありません。

ところが先日、母を座椅子に座らせようと、引き上げていた時に「そんなことしてたら、あなた足がだめになるよ」

久しぶりに聞いた母らしい言葉。

嬉しいのはもちろん、びっくりしました。

ほぼ1日叫んでいる母からそんな言葉が出てこようとは。

全てわからなくなってしまったと思っていた母ですが、奥底にはまだ母らしさが残されているんだと思いました。

こちらの言うことが通じなくても、今まで以上に話しかけ、優しく接したいと思った出来事でした。

 

食べられることに感謝

母が食べられなくなったきっかけは、特になかったと思います。

だんだん水分が飲み込めなくなり、口に食べ物を入れても噛まなくなったり。

そんなことがだんだん増えていくなか、ある日熱を出し、その後ますます食べられなくなった感じでした。

水分が摂れなくなった当初は、パンを飲み物に浸したり、お粥にしたりして、なるべく水分をとれるようにしていましたが、それも食べられなくなりました。

訪問診療の先生からは、この先のことについて聞かれました。

点滴、鼻からチューブ、胃ろう、延命治療、どこまで望むのか?

姉は胃ろうには絶対反対です。

母の年齢を考えると、なるべく苦痛を与えたくないと。

私は看護師さんに胃ろうにしながら、好きな飲み物だけ口から飲んでる人もいると聞いていたので、胃ろうによる延命に少し期待を持っていました。

それらの判断もまだ少し先のことと思っていた矢先、母が脱水で血圧が測れなくなっていまったのです。

高齢と認知症で飲み込む反射が起きなくなってしまうことが原因と考えられると言われ、母がまた食べたり飲んだりすることはもうないのだろうと絶望的になりました。

少しでも栄養と水分をと、栄養補助食品や介護食をいろいろと買って試しました。

すでにほとんど食べられなくなっていた母です、なかなか上手くいきません。

ただある時気づきました、錠剤は食べられると。

飲まないで噛み砕いてしまうのですが。

もしかして堅いものなら、食べられるのでは?

試しに小袋入りのお煎餅と、ピーナッツチョコを買ってみました。

チョコは食べられませんでしたが、お煎餅はパリパリ食べます。

母は腎臓があまり良くないので、食事はカリウム、塩分を気にしていましたが、今は食べられることを優先しました。

軟らかいものは噛んで飲み込むことができないので、食べられるのは、お煎餅、かりんとう、ポテトチップスなど、かなり偏った食事です。

メイバランスもアイスと混ぜで凍らすと食べられました。

食前の顔のマッサージも始めました。

少しずついろいろなものが食べられるようになり、今では食べる量も増えてきました。

もう食べられないのではと思っていたので、とっても嬉しかったです。

今度は誤嚥が心配になりますが、少しずつでも食べられることに感謝しています。

 

 

食べられなくなり、脱水状態に

ほぼ1ヶ月振りにブログを書きます。

母が脱水で大変なことになり、これから先どうなるのか分からず、ブログをやめようかと考えていました。

今は少しずつですが、食べたり飲んだり出来るようになり、ちょっとほっとしています。

今回のことで脱水の怖さを知りました。

飲み込めなくなり食べる量も飲む量も減っていった母、ある日血圧が測りにくくなり、しばらく足をあげると測れるようになる状況に。

翌日には、足を上げていないと血圧が測れなくなってしまい、点滴を打ってもらいたいと訪問看護に電話しました。

私はひどい潔癖性で家に人をあげたことがほとんどないので迷いましたが、緊急事態だと思いました。

看護師さんは来てくれましたが、先生が今日中には来られず点滴は出来ないとのこと。

うちの場合、訪問診療と訪問看護は、別の事業所です

看護師さんに、このまま一晩様子をみて大丈夫かと尋ねると、大丈夫とは言えないとの答えが。

救急車を呼ぶということも選択肢もとしてあるが、救急車が来ても病院に搬送してくれるかわからないのとこと。

後で言われたのですが、血圧50はいわゆるショック状態だそうです。

しばらくして電話で先生と話すことが出来たのですが、その時に言われたのは、「年齢を考えるとこのまま最期を見送るという選択肢もある。」「点滴しても体が吸収出来ずむくみがでたり、肺とかに水がたまって苦しむこもある。」

とてもマイナスなイメージでつらい言葉でした。

それでも、少し前に主治医の先生と話してしたように点滴を希望しました。

しばらくして先生が来てくれて、点滴もしてもらい、少しほっとしました。

来てくれた先生はまだ若かったのですが、感じの良い人で、電話でのイメージとは違っていました。

それから数日間点滴を続けている間は、動いて点滴が外れないよう、朝の9時から夜の7時過ぎまで、ずっと番をしていました。

それでも何度か針が抜けてしまい、血管が細く針を刺すのが難しく、母に痛い思いをさせてしまいました。

今では少しずつですが、食べたり飲んだり出来るようになり、週3回看護師さんが様子をみに訪問してくれています。

「点滴をして一時的に元気になっても、水分が十分にはとれないとまた同じことを繰り返すことになる。」「点滴では栄養は入れられないから、栄養不足になって、体力は落ちていく」「体力が落ちると感染症にかかりやすくなり、かかった時に一気に悪くなることがある」そして誤嚥性肺炎の可能性。

不安なことばかりを聞かされ、「もう母は長くないのでは、残された時間は後悔しないように」などと考えました。

3週間程経ち、いろんなものが食べたり飲んだり出来るようになってきた母。

先生や看護師さんにはもちろん、何より母の底力に感謝しています。

今の調子が長続きしますように。

 

 

 

 

 

 

4回目のワクチン

母の4回目のコロナワクチンも無事に済んだ。

本当は先月の予定だったが、微熱が続き予約をキャンセルした。

熱は夜になると上がり1ヶ月程続き、時々、左手と右足のむくみもあった。

血液検査をしても特に問題はなく、原因はわからなかった。

今月になって熱もむくみも治まったが、やっぱりワクチンの副反応は気になった

診察の日は、朝から叫んで大騒ぎだった。

眠たくなる薬を飲ませたが診察の時も叫んで、押さえつけるような感じでワクチン接種を済ませた。

しばらくして寝てしまった。

事前に飲んだ薬が効いたのか、疲れてしまったのか…。

以前、抗生物質を飲ませた後、血圧が低くなり眠ってしまったことがあった。

後で医者からアナフィラキシーを起こしていたと説明された。

今回も気になり途中何度か血圧をはかった。

夜になっても起きず、夕食を食べさせることも出来なかった。

最近あまり水分を摂れていないので、心配になる。

夜中少し目を覚ましたので、トロミをつけた水を飲ませることができた。

朝方にはいつものように元気な声で?叫び出し、ホッとした。

普段ならうるさく思ってしまうのに、今日はその声に私も元気が出た。

結局熱も出ず、腕も腫れず、無事に終わった。

考えてみれば、3回目のワクチンで熱と吐き気と悪寒で😵だった私よりも、よっぽど安心なのかも知れない。

でも90才を迎え、身体も小さくなり、食も細くなり、体力もすっかり落ちてしまった母。

少しでも長く元気でいて欲しいと願っているので、些細なことでも気になってしまう。

 

 

 

久しぶりに更新

前回の更新から、1ヶ月経ってしまった。

すごい疲れで、何かをする気になれないでいた。

母の調子があまり良くないのも、原因のひとつかもしれない。

叫ぶのを抑えるために薬を変えると、寝すぎてしまい、また薬を変更するを繰り返している。

寝すぎてしまうと、食事の回数が減ってしまったり、水を飲み込むのが難しくなったり。

だんだんと体力が落ちていく感じがしてしまう。

1食毎に一喜一憂しても仕方ないとわかっている。

でも食べられればホッとしてこちらの気分も明るくなり、食べられなければどっと疲れがでてしまう。

「これから先、あまり食べられなくなるようだったら、入院して点滴か鼻から管で栄養を…」と言われた。

鼻から管で栄養をとれば、飲み込む力がますます弱くなって、自分で食べることが出来なくなってしまうのではないか?

入院したら、もう家には戻ってこれないのではないか?

そんな不安がよぎる。

先月新しい介護保険証が届いた。

介護5、期間は3年。

3年後、どうなっているだろうか…。

なるべく考えないようにしていても、やっぱり考えてしまう。

今は1日1日積み重ねていくしかない。

 

 

 

 

なんかほっとしました。

家には仏壇がない。

父の机に、何枚かの写真と、お水、花、生前父が好きだったのも等を並べている。

父がなくなった当時は、認知症の母がまだ壁づたいで歩けていたので、ローソクやお線香に火はつけないで、食事の度にお線香を2本ずつ火をつけずに供えることにした。

仏教や信仰とはほぼ無関係で育ってきた。

しかし初七日、四十九日などは、ネットでいろいろ調べて、できる範囲で供養した。

お供えにもいろいろ意味があることを知ると、今のやり方でいいのか、すこし迷いが生まれてきた。

そんな時に仏具店で電池式のローソクとお線香を見た。

そういう物があるのは知っていた。

でもなんだかおままごとみたいでしっくりこないでいた。

多分、父もそう言うだろう。

だが、もやもや考えているよりと思って、思いきって買ってみた。

ご飯など温かい物を供えている時は、湯気で本当に火がついているように見えるし、思ったより良い感じだ。

何よりオレンジ色が温かく感じられる。

何だかほっとした気分になった。