プチひきこもりの、介護日記

両親介護 認知症 シングル 50代 プチひきこもり

それだけで十分です

前の更新から1ヶ月以上経ってしまいました。

今も母と2人で無事に暮らしています。

母は寝ている時間がさらに増えて、夕方の6時過ぎに起きることもざらです。

あまりに静かに眠っているときは、息をしているか心配になって、何度も顔をのぞきこんでしまいます。

出かけて帰った後も、まず母の部屋をのぞいて母の様子を確認します。

日中ほとんど寝て過ごすようになり、食事の量もすっかり減ってしまったので、「いつ何があってもおかしくない」と覚悟すればするほど、逆に母の様子が気になって息をしているか確認をするようになってしまいました。

寝る前にタンがからんで、咳き込み、そのまま寝てしまったときなど、朝起きて直ぐに母の様子を確認します。

私も息をころして、母の顔をのぞきこみます。

じー👀。

よくわからないので、ドキドキします。

そんな時に、急に母が大きなあくびをする時があります。

ほっとすると同時に、のんきにあくびをしてる母がいとおしく感じられます。

老いて認知症になった母をいとおしいと思う日が来るとは思いませんでした。

介護は大変なことも多く何度も衝突し、お互いに怒ったことも泣いたこともありました。

「もっと早く今のような気持ちで母に接することが出来なかったものか」そう思いますが、やはりそれは無理だったと思います。

時間をかけて、やっと今のような気持ちなれたと思います。

そして残り時間の短さを意識するようになり、今を少しでも良く過ごしたいと思うようになりました。

今日も生きていてくれる、食べて飲んでくれる、それだけで十分幸せです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

底力

スマホの写真を整理しました。

お正月に撮った写真の母はボーとしていて、うつろな目をしています。

あの時は口に食べ物を入れても反応がにぶく、それでもゆっくりと食べてくれました。

急に寝ている時間がぐっと増えて、目を開けている時も反応はほとんどなく、「このまま食べられなくなってしまうのではないか」と気をもんだものです。

その後も、少し食べられるようになったり、また食べられなくなったりを繰り返しています。

日によっては大声で騒ぐこともあって、「こんな力が残っていたのか」と驚くと同時に、頼もしくさえ思えてきます。

今から思えば、母が元気でいた頃から、母の底力に何度も支えられてきたのだと思います。

昔から、母は「火事場のばか力」を発揮することがありました。

今もそんな母の底力を信じて、「まだまだ元気でいてくれるのではないか」と、どこか期待しているところがあります。

今日は節分。

鬼は外、福は内。

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(YouTube たつくりの折り紙より)

派手に豆はまけませんが、せめて声だけでも大きな声で「鬼は外!福は内!」

 

 

 

 

ほんの一時増えた母の飲む量がまた減ってしまいました。

病気の性質上、波があるのは承知していますが、それよりは老化の進行によるものでしょう。

分かっていても、やはり一喜一憂してしまいます。

今までは少しでも長く生きて欲しいと、それだけを強く願っていましたが、私の気持ちにも少しずつ変化が。

もちろん少しでも長く生きて欲しいのは変わりません。

でも今までは必死過ぎて、私に余裕がなかったように思います。

同時に母にも負担をかけていたのではないかと思います。

今は母が起きてるときはなるべく母の側にいて話しかけたり、歌をうたったり、マッサージをしたして過ごしています。

もちろん母に少しでも食べて欲しい飲んで欲しい気持ちはあります。

でも私と一緒に暮らして良かったと思ってもらえるように、それを一番大事に考えようと思うようになりました。

幸せに長く、少しでも長く一緒にいられますように。

 

 

 

 

 

今日はいい天気で暖かかったですが、月曜日は冷え込むようです。

被災されて避難して過ごされてる方のことを思うと、胸が痛みます。

両親が高齢になってからは、特に高齢の方の様子が気になるようになりました。

どうかご無事でと思わずにはいられません。

さらに特に気になるのは、在宅で介護をされていた方のことです。

私だったら母を守れただろうかと考えてしまいます。

自宅にとどまることができる状態なら、水や食料などの備えはある程度あります。

しかし避難しなくてはならなくなったら、私一人では寝たきりの母を避難所まで連れてはいけないでしょう。

誰かの手を借りて避難所まで行けたとしても、時間に関係なく叫ぶ母が避難所で過ごすのは難しいでしょう。

私は車の免許もないので、車の中で過ごすことも出来ません。

災害時に福祉避難所まで車イスで行けるとは思えません。

考えると不安になります。

いざと言うときに考えて備えておかないといけないのですが、難しいです。

似たような状況に置かれている方がいるかも知れないと思うと、「何とか無事に乗り越えられますように」と心から願わずにはいられます。

弱い立場の人はなかなか声をあげられません。

地震から助かった命が、避難生活で失われることのありませんように。

少しでも早く、せめて暖かい部屋で温かい食事ができるようになりますように。

願うことしか出来ませんが、ずっとずっと願い続けます。

 

 

願い


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(引用 YouTube たつくりのおりがみ)

お正月の朝。

寝ている母に、「おはよう。今年もよろしくお願いします。」と声をかけました。

目を覚ましたら、栗きんとん、黒豆、百合根、数の子でお祝いをします。

食べられるかわかりませんが用意しました。

最近は寝ている時間が増えて、夕方になってやっと目を覚ますことが増えました。

いつ起きるかわからないので、テレビを観ながら待ちます。

テレビで除夜の鐘を聞けば、今年も母と無事に過ごせることを願い、来年のお正月も母とふたりで迎えられるように願います。

日の出を観れば、画面に手を合わせてまた同じことを願います。

ほとんどの人が家族の幸せを願っていると思います。

ただ今の母の様子をみていると、強く強く願わずにはいられません。

穏やかな1年になりますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

いつもと違う大晦日

毎年大晦日は同じように過ごしていました。

父が亡くなり、母が寝たきりになり、今年はがらりとかわりました。

母は食べられる物が減り、食べたり飲んだり出来るものは本当に限られたものになってしまいました。

ほぼ何もしないつもりでも、買い物をしていて母の好きなみつばを見ると、「これで雑煮がわりにすまし汁をつくれば、母でも食べられるのではないか」そんな風に考えてしまいます。

結局悩んでみつばを買いました。

こんな感じでだんだん買うものが増えてしまいます。

毎年大晦日は母は忙しくしていました。

今は寝たきりですが、「いつもならお母さんこの時間には何々をしていたなぁ」と、思い出します。

年末年始らしいことを減らすと、もっと寂しく感じるかと思っていましたが、そんなことはありませんでした。

母と一緒に過ごせるだけで十分です。

いつもと同じ物でも、母が起きて飲んで食べてくれるだけで、安心して私も元気がでます。

寝たきりになっても、母の力は偉大です。

いろんな人に支えられた1年でした。

大変なことも多いですが、それでもやっぱり幸せだと思います。

感謝です。

 

 

 

いつかの話

「精神科の先生に、内科の先生と一緒に今後のことを話しましょう」と言われました。

今までにも何度か、「今後もし母の状態が悪くなった場合は、どういう治療を望むのか」を聞かれたことはあります。

リビングウィルの用紙を渡されたこともありました。

それはまだ先のいつかの時に備えての話でしたが、今回は何だか違う感じがしました。

どこまで延命処置をするのか、最期はどこで迎えるかも決めなくてはなりません。

姉と私の考えは違うので、話し合うといってもなかなか難しいです。

今までも少し話したことはありましたが、答えは出ませんでした。

私は自宅でみとるのは無理だと、介護を始めてからずっと言い続けてきました。

姉は最後まで自宅でと言います。

「私なら、お母さんかつらい思いをするくらいなら、自分が大変なおもいをしても、自宅でみとる」と姉は言います。

そう言われると何も言えなくなります。

私も自分の病気がなければ姉と同じように思ったでしょう。

姉と私、「永遠の平行線」と私は呼んでます😥。

決めないで成り行きにまかせたいとも思いますが、先生は決めてもらわないと困るのでしょう。

診察の方針や準備もあるでしょうし。

「親は自分より先になくなるもの」とわかっていても、「それは今ではない」とずっと思っていました。

今でもそう思っています。

でも決めなくてはならなくなってきました、自宅か施設か病院か。

夜中母が具合悪くなって、看護師さんに来てもらった方がいいのかわからなくて不安になった時などは思います。

「病院や施設なら看護師さんが直ぐに適切に対応してくれるから安心なんだけど」

でも一方で思ってしまいます。

「病院や施設では、細かく目が届かなかくて気づくのが遅れたり、手が足りなくてひとりひとりに丁寧に時間をかけてもらえないのではないか。」

決める勇気がないのです。

施設や病院を選択したら、きっと後悔するでしょう。

誰でも決断するときは来ます。

私には人一倍重い決断です。

でもとにかく新年を母とふたり迎えられることに感謝して、年の瀬を過ごしたいと思います。