プチひきこもりの、介護日記

両親介護 認知症 シングル 50代 プチひきこもり

いよいよ年末

もうすぐクリスマス、そしていよいよ年末。

今は母とふたりですし、母もほとんどおせちも食べられないと思うので、お正月っぽいことはあまりしません。

さすがにちょっと大掃除をして、スッキリとして迎えたいとは思います。

ふすまの汚れを隠すために、折り紙を飾っています。

こんな感じです。


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(YouTubeのたつくのおりがみさんに、作品の紹介の許可をもらってます。)

今年の夏前から始めたのですが、季節ごとに変えているので、趣味とは言えませんが時間つぶしにはなります。

LINEのスタンプも時々つくります。

下手でお恥ずかしいですが、こんな感じです。


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[辰年、年末年始みけねこの可愛いすたんぷ] https://line.me/S/sticker/24952164/?lang=ja&utm_source=gnsh_stickerDetail

スマホで手軽にが描けるので、母の横で様子をみながらできます。

「少しは認知症予防になってるかな?」とか思ってます。

今年も後10日ほど、母とふたり無事に過ごせそうでほっとしています。

 

びっくりした

母は起きている間は、ほとんど叫んでいるので着替えさせたり、体の向きを変えたりする時はさらに大声になります。

痛いのではないかと思ったり、嫌な思いをさせてしまっているようで、何だか申し訳ない気持ちになってしまいます。

先日は昼間はカットしたりシャンプーしたりで大騒ぎ、夜は下痢ピーで陰部洗浄をした時に服まで濡れてしまって着替えることになってしまい、やっぱり母は大騒ぎ。

私も疲れてさほど丁寧に出来なくなってきていました。

やっと着替えが終わりホッとしたところで、母に「○○ちゃんは(私の名前)、痛いことばかりするって思ってる?」と聞くと「そんなことないよ」

まさか返事が返ってくるとは思ってもいませんでした。

しかも私がすることを嫌がってないようなことを言ってくれるなんて。

一瞬だけでも少し頭がはっきりしたのか、ただ条件反射で答えただけなのか?

条件反射だったとしても、母の言葉が聞けるのはうれしいです。

体調によるのでしょうが、何ヵ月も言葉がでないのは普通です。

言葉が出るときは続けて出ることが多いです。

少し前には、母が眠ってしまい薬が飲ませられずに困ってちょっと母に触れた時に「びっくりした!」と言ったこともありました。

認知症になる前の元気だった頃の母と全く変わらない感じに驚きもしましたが、何だかおかしくなってしまいました。

認知症や大変な介護も何もなかったかのような、「びっくりした!」と言う様子がおかしくて😆。

介護でちょっと疲れてる私への、母からのサプライズだったのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

たった2年前

趣味や息抜きってあった方がいいですよね。

特に介護をしていると。

最近、母がちょっと調子わるかったりすると、ずっと様子が気になったり、すごく気持ちが落ち込んでしまいます。

そんな時にちょっとした気晴らしがあればいいのですが、私にはこれといってありません。

何か趣味を作ろうと思ってはいるんです。

介護していると時間とか場所とか制約されるので、家で手軽に出来るものをと思って考えますが。

うつ病なのもあって、なかなか心も体も動きません。

数年前にスマホを手にして、今は時間があると何となくスマホを手にしてしまいます。

以前は介護のアニメのような物を時々作っていましたが、母の認知症がすすみ寝たきりになってからは作らなくなってしまいました。

今見返すと稚拙ですが、当時の母の様子を思い出します。

#認知症介護アニメ いるのかな?いないのかな?一緒だよ。 https://www.instagram.com/p/CQ0GHMvpzEN/?igshid=NGEwZGU0MjU5Mw==

たった2年とちょっと前、まだ母は会話をし自分の足で歩いていたなんて。

母の年齢での1年はとても大きいものだと感じました。

あらためてこれからの母との時間を大切にしようと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最近ちょっと精神的に参ってます。

いろんな事が重なったのもありますが、母が熱を出したのが大きかったと思います。

90歳を越え介護認定5、いつ何があってもおかしくないと自分に言い聞かせて覚悟はしているつもりです。

しかし母の体力が弱り体調も良くない事が増えると、その覚悟も小さく弱いものになっていきました。

寝たきりになって、私がすべての介助をするようになって、私の中で母の存在が大きくなるにつれ、母が大切になっていきます。

介護がどんなにつらいときでも、終わってほしくない、少しでも長く続いてほしいと思うようになりました。

母の前では、なるべく明るく元気にしていますが、つい「疲れた」と言葉にしてしまう時があります。

そんな時は、慌てて直ぐに「嘘よ。大丈夫、元気、元気」と笑ってごまかします。

母に言葉が通じているとは思いませんが、それでも母に負担を感じさせたくはありません。

「笑う門には福来る」ではありませんが、福も味方にしたいです。

 

 

 

 

今では自分のブログを読み返すことはありません。

父母がまだ元気だった頃は、いつか読み返すこともあるだろうと思っていました。

でも父がいなくなり、母も寝たきりになってしまった今は、昔のブログを読み返すと、「あの時もっと優しくしてあげればよかった」と思ってしまいます。

当時も一生懸命頑張っていたつもりですが、私自身に余裕がありませんでした。

「後悔しないように」、そう思って介護していたつもりでも、後悔することだらけです。

頭ではわかっていても、出来ないことってあるんですよね。

当時は、父母がまだまだ元気で長生きしてくれると、心のどこかで思っていました。

そんな安心感がありました。

その安心感が私を支え、頑張れていたような気がします。

私も以前のような元気はなくなってしまいましたが、今は母を支えているというよりは、母とふたりで支えあっている感じです。

 

 

 

 

 

叫ぶのは大変だけど…

母は起きている間、ほとんど騒ぐか叫んでいます。

起きているときは「お父さん!」「えー!」、寝ているときは「あー!」とか。

時々「痛い」ということもあり、どこかい痛かったり調子悪いのではないかと気になってしまいます。

何か不安なことがあったり、変な物が見えたりして叫ぶのかもしれません。

一番つらいのは母だと思っていても、叫び声をずっと聞いているとつらくなります。

私のように心が弱っていれば、なおさら声や音には敏感です。

でも悪い言葉を叫ばないのが助かります。

「ばか野郎」とか「うるさい」「嫌!」などと叫ばれたら、介護の気力もだだ下がりになってしまうでしょう。

時には怒りを覚えてしまうかもしれません。

母はもともとおおらかで感情の豊かな人でしたが、私の病気をきっかけに、激しい気性も出て、時には荒い言葉を使うようにもなりました。

認知症になって叫ぶようになってどうなることかと思いましたが、他人を傷つけるようなことは叫びません。

こないだは叫んでいる途中で、「お父さん!お父さん!お父さん!ありがとう」

突然のことで驚きました。

その言葉に感情はこもっているのか?意味がわかっていっているのか?それはわかりません。

それでも思わず吹き出して、ちょっと幸せな気分になりました。

側にかけよって、「お母さん、私もありがとう」と声をかけました。

 

 

父が亡くなってもうすぐ2年になりますが、近所の人には言っていません。

手続きの関係で自治会には話しました。

亡くなったばかりの時は、お香典や御返しなどを避けるためもありましたが、父の話をするとデイや病院への不信感がぶり返し泣き出してしまいそうになるので、話すのを避けていました。

たまに近所の人に「お父さんお母さん元気?」と聞かれても、「はい、ありがとうございます」と答えていました。

それでもどこからか話は伝わるものなのでしょう。

いつの頃からか、「お母さん元気?」とだけ、聞かれるようになりました。

父のことを話せるようになるというのも、父を見送るということなのかもしれないと思いますが、なかなか出来ません。

そもそも鬱病、引きこもり気味の私にとって、他人と話すのはハードルが高いので、なるべく短い会話で終わらせたい気持ちもあります。

親との別れは誰もが経験することですが、私にとってはとても大きな出来事でした。

今でも父のことを思い出すときは、悲しみや後悔の気持ちと一緒になってしまいます。

楽しく父のことを思い出せるようになるには、まだ何年かかりそうです。

楽しく父のことを話せるようになり、早く父を安心させたいと思います。