プチひきこもりの、介護日記

両親介護 認知症 シングル 50代 プチひきこもり

書き初め

ここ数年書き初めをしていたが、今年は両親ともに書けないので、代わりに私が書いた。

私が書いていると、母が横にきてのぞいているので、母に筆を持たせてみた。

母は迷いなく、半紙に力強く筆をおろした。

何を書くのかと思って見ていたら、筆をおろしたまま、もう一度強く筆を半紙に押しつけた。

そのまま動かない。

習字の感覚はあっても、どうすればいいのかわからないのだろう。

「 もういいの?ありがとう。」と言って、筆を母の手から放した。

大きな「ヽ」だけが書かれた半紙。

せっかくだから、ふすまに貼って飾ることにした。

母が久しぶりに自分からやる気を見せてくれたことが嬉しかった。

ただ時々、半紙のヽが虫に見えてしまいドキっとしてしまう。

 

 

 

今年のお正月は控え目にお祝いをした。

何年も前から、お雑煮のお餅はやめている。

軽く潰したご飯を一口大に握って焼いて、お餅の代わりにしている。

飲み込む力、噛む力が衰えてくるので、食べるのが難しいものも増えてくる。

小さく切ったり、とろみをつけたりして、なるべく食べられるようにしている。

外出も難しくなりほとんど家にいるようになり、せめて美味しいものでもと思うことが増えた。

これからもいろいろなことができなくなってくるのだろう。

去年ブログを初めて、いろいろな介護ブログを読むようになった。

私よりも介護の先をいっている人、まだ介護を始めたばかりの人。

状況はそれぞれだが、共感できることも多い。

もちろん、ここは違うなぁと思うこともある。

それでも自分だけではないのだと、励まされる。

不思議と自分の状況も客観的にみられるようになることも。

いつまで続くかわからない介護だが、なるべく長く続いて欲しいと、最近強く思うようになった。

 

先日、コメントを頂きました。

いつも拝読している方からのコメント、励みになります。

ありがとうございます。

 

 

 

 

 

無事に

最近、病院で選択を迫られることが続いた。

自分のことならまだしも、家族のこととなると、決めた後も不安が残る。

医学的な知識も経験もない私たちは、医師の言葉に逆らってまで、「こうして欲しい」と言うことはなかなか出来ない。

父に対しても、母に対しても、「とにかく、ただ無事で」と願う日々。

それでも無事新年は迎えられそうだ。

今年は、家で家族そろってとはいかなかったが、それでもありがたい。

今は1日1日感謝。

 

看護師さん

こないだの通院の時、母はずっと寝ていた。

血圧が低かったのだ。

時々あるのだが、今回は看護師さんがすごく気にしていた。

血圧計を変えて何度もはかり直したり、脈を足の甲でとってみたり。

大きなイビキと、看護師さんのその様子に私たちも少し不安を感じた。

診察が終わって帰る前にも、もう一度血圧をはかり、他の科に電話で問い合わせをしてくれた。

「以前にも同じような状況で回復してるから大丈夫だろうということでした。帰ってからでも様子が気になったらいつでも病院に連絡してください。帰ったらもう一度血圧をはかってみてください。」

そして「大騒ぎして不安にさせちゃってごめんなさいね。」

いつもすごく気がついて、私たちも信頼している看護師さん。

その時はお礼を言って帰った。

薬局で薬を待つ間に、車の中で母の足を上げていたが意識が全然戻らない。

看護師さんの言葉が気になり、病院に戻ったら、直ぐに救急外来に通された。

脈が44しかなく、これで血圧が低かったら大変なことになっていたとのこと。

看護師さんが気にしてくれてなかったら、私たちもいつものことと思い、家に帰ってしまっていただろう。

看護師さんの勘の様なものだろうか。

経験と観察力が成せる業なのだろう。

今度あったらお礼を言おう。

このような看護師さんに、いつも出会えるとは限らない。

どんな病院、医師、看護師に当たるかは運の様なものだ。

そして信頼関係をを築くまでには、時間がかかる。

普段の生活の中ではもちろん、病院では、この信頼関係がすごく重要だ。

時には、運命を左右するのだから…。

同じ結果になっても、信頼関係があるかないかで、こちらの受け止め方もちがってしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今からでも遅くない

この2ヶ月ぐらいで、母の認知症が急に進んだ。

それに従い、私の母に接する態度も自然と変わっていった。

優しく、穏やかに、明るく、笑顔で、ゆっくりと。

何故もっと早くにそうしなかったのだろう。

そうしていたら、母をもっと笑顔に出来ていただろう。

今の母は意志疎通も難しくなっている。

話しかけても、反応がないことがほとんど。

口に食べ物を運べば食べるが、表情は変わらない。

わからなくなってしまった母に優しくすることが、虚しいのではない。

もっと元気なうちに今の様な接っし方をしていたら、きっと母と楽しく過ごせただろうに。

そう思うと切ない。

でも、後悔している時間はない。

今からでも遅くない。

今、目の前にいる母に出来るだけのことをしよう。

 

 

 

 

 

 

もったいない

母のタンスの整理をしていると、一度も着てない服や下着がいくつも出てきた。

戦中、戦後の物のない時代を経験してきた母の世代は、物を大切にしたり、もったいないという考える人が多い。

母も新しい服をおろすのはもったいないと言ってなかなか袖を通そうとしない。

決して高いものではなくても、靴下でさえ、「お正月に着る」が口癖。

お正月になれば、「今度出かけるときに着る」

服だけではない、毛布やシーツも…。

そのまま着ないでタンスの肥しになった方がもったいないのだが。

そういう私も母の影響で、似たようなものだ。

新しいものには手を通さず、ついつい着古した服を着てしまう。

自分はそれでいいと思うが、やっぱり母には新しい服を着て欲しいと思う。

今までたくさんの我慢をしてきたであろう母。

気楽に新しい服に袖を通して、楽しんでくれたら、私もうれしいのだけど。

 

 

 

 

 

 

 

とにかく精一杯

「運が悪い」と言うと「気のせい」とか、「気の持ち方」とか言われそうだが。

人生の本当に大切なタイミングで、運の悪いことが続いた。

運が悪かったとあきらめることは出来ない。

必死にあがいて、頑張るつもりだ。

今の状況では、良い結果を期待するのは難しいが。

それでも、あきらめない。

「運の悪さ」なんかには、負けたくない。

後悔しないよう、とにかく精一杯頑張るだけ。

今は、ただそれだけを信じて。