プチひきこもりの、介護日記

両親介護 認知症 シングル 50代 プチひきこもり

今年も大掃除?

今年も後2ヶ月、大掃除が気になり始めますます。

毎年10月頃から少しずつ始めてましたが、介護を始めてからはだんだん簡単に済ませるようになり、ここ2、3年はほとんど出来ていません。

介護でいっぱいで、他の事は後回しです。

「介護しながら、家の中も整理整頓キレイにしている人っているのかなぁ」そんな気さえしてきます。

(いやいや、きっといますよね。)

介護を始める前に一度大掃除をしたので、なんとかなっていますが。

そうでなかったらもう目も当てられなかったでしょう。

母があまり食べられなくなって、食事の時間も不規則になってからは、ますます時間がつくりにくくなり、気持ちも疲れやすくなりました。

母が元気な頃は大掃除もしました、おせちも作りました。

高齢になってあまり動けなくなってからも、母は年末が近づくと大掃除やおせちを気にして「もう大変なので今年はしない」と言うようになり、私がひとりで済ませていました。

今はもうお正月もわからなくなり、おせち料理もほとんど食べられなくなってしまいました。

それでも母と一緒に暮らしている間は、形だけでも大掃除?をして、おせちを用意したいと思います。

母が元気な頃と同じように過ごすことが、母が元気で居続けてくれることに繋がるようが気がします。

 

 

 

 

 

 

 

 

頑張れば頑張るほど

食事中に、母の歯が4本同時に抜けてしまいました😢。

前歯が1本、奥歯が3本。

前歯は歯茎が下がって根元が細くなっていたのが折れてしまいました。

奥歯は3本連続でかぶせてあったのが、一遍にとれてしました。

中が虫歯になって、歯がもろくなってしまっていたのかもしれません。

とにかくかぶせ物を飲み込まないで良かったです。

この頃、足の巻き爪が腫れたり、おむつかぶれができたり、母がぼろぼろになってしまうようで、すごくショックを受けました。

高齢の母が傷んだ姿を見るのは辛いものです。

ですが歯が抜けてからも食事は出来ましたし、他も落ち着いたので、ひとまず安心しました。

一時は水も計量スプーンで少しずつしか飲めなかったのが、コップから飲めるようになりました。

高齢の母に「頑張って」とは言えませんが、もう少し一緒にいて欲しいので、「私も頑張るから、お母さん元気でいてね」って毎日思っています。

介護を頑張れば頑張るほど、母と別れがたい気持ちが強くなります。

 

 

 

両面テープ

母の肌着を新調しました。

母なら「もったいないからお正月におろす」、お正月になれば「何かあったときにとっておく」、きっとそう言っただろうなあと思いつつ、母に着せました。

ボタンがわりに丸い両面テープがついてます。

両面テープの色が濃いピンクです。

「白じゃないの?」そう思いました

気づいたら一番上のテープだけがピンクで後は白です。

一瞬?

なるほど、ボタンのかけ間違えがないよう、分かりやすいように一番上のテープだけ色を変えて、目立つようにピンクにしているようです。

少し前に買った、同じグンゼの寝巻きの両面テープは、目立つ色ですが全部同じ色です。

介護用品も日々進化、工夫されているようです。

些細なことですが、これで助かる人もたくさんいると思います。

考える人、気づく人はすごいと思いました。

それに比べて近頃の私の頭は😓⤵️。

先日母の紙パンツをかえていて、母の腰骨に何本かのしわを見つけました。

最近食べたり飲んだりの量が減ってしまい、寝ている時間が増えていたので、痩せてこんなところまでしわが何本もできてしまって…。

悲しくなりました。

数日後、しわがお尻にもあるのに気づきました。

私がしわと思っていたのは、紙パンツの細いゴムのあとだったのです😁。

寝ている時間が増え、自分では寝返りも出来なくなって、パンツのゴムのあとがついてしまったようです😲。

等間隔のしわに不自然さを感じなかった私😅。

歳のせいもありますが、介護生活に追われ、頭の柔軟さがめっきり減ってしまいました。

介護も毎日同じことの繰り返しで、気づかぬうちに流れ作業になりがちです。

もっと余裕をもって、想像力豊かな介護が出来たらなと思います。

なかなか難しいことですが…。

 

 

 

やっと言えた「ありがとう」

最近は母に「ありがとう」と声にして伝えるようにしています。

離れて暮らしている姉は、以前から両親に「ありがとう」「お父さんお母さんのおかげだよ」と、ことあるごとに言っていましたが、私には出来ませんでした。

ずっと一緒に暮らしているせいもありますが、私が摂食障害、潔癖性になってからは、両親との関係は複雑なものになっしまっていました。

父の入院中も姉は「ありがとう」と度々口にしていました。

私は父が「もしかして退院できないのかも知れない」と気づいてしまうのではないかと気が気でありませんでした。

そう思って、私はなかなか「ありがとう」とは言えませんでした。

そのかわり、「退院したら髪の毛切ろうね」とか、退院したらの話をして、「絶対治って退院できるからと」心の中で伝えていました。

父が亡くなってからは、思いっきり心から「ありがとう」と何度も伝えています。

そんなことがあったからか、母には「ありがとう」を伝えるようになりました。

最初は気恥ずかしさもありましたが、母とのふたり暮らし、誰が聞いて訳でもありません。

母も認知症でわかっていません。

認知症になってわからないからこそ、伝えられるのでしょう。

皮肉な感じですが…。

ある日、いつものように「ありがとう」と母を抱きしめました。

すると母が「ありがとう」

驚きましたが、こちらの言葉を繰り返してるのかなと思いました。

すると続けて「こんなに良くしてもらって」

以前の母の雰囲気が呼び起こされます。

まれに一瞬、私の言葉が母に届くことがあります。

「こちらこそありがとう。お母さんのおかげだよ」そう言って、母を抱きしめました。

 

夜、母が寝ついた後肩の力が抜け、ほっとひと息つきます。

しばらくすると、「母に悪いことをした」そんな気持ちがわきあがってきます。

特に何かをしたわけではないのですが。

食事の時に叫び、口の中の物を飲み込まず吐き出してしまって、心の中ではいらっとしてしまったり。

そんな介護をしていれば、誰でも思い当たるようなことでも、気になってしまいます。

後どれくらいの間、母の介護が出来るかわからないですが、おそらくそう長くはないでしょう。

今まではいろいろあったので、せめてこれからは全力で母の介護をと思っているのですが…。

思ってはいても、現実は難しいのです。

それでもやはり今日も思わずにはいられません。

母に穏やかな気持ちでいて欲しい、今の母のそのままを受け入れよう。

毎日大変なことも多いですが、気持ちをリセットして頑張っています。

 

毎日気持ちはゆれます

誤嚥が怖いので、食事はしっかり起きているときにしないといけない。」

わかっていても難しいです。

母の場合目を開けていても、はっきり覚醒してないことが多いです。

そんなときは、食事を口に持っていっても口を開けてくれません。

口の横からジュースをほんの数滴流してみたり、口をマッサージしたりします。

それでもほとんどの場合はダメです。

いったん食事を諦めようかと思いますが、後で食べられる保証もありません。

時間をかけて何とか歯のすき間から指を滑り込ませ食べ物を口の中にいれます。

食べ始めるようになるまで、これを繰り返すのですが、1回ずつ大変です。

時には指を噛まれます。

「ぱくっ!」なんて可愛いものではありません。

それでも直ぐに放してくれるなら良いのですが、噛んだまま思いっきり力を入れてきます。

こないだは同時に両手の指を噛まれて、にっちもさっちもでした😅。

まだ爪に内出血の痕がのこってます。

母に嫌な思いをさせているのではないかと胸が痛みます。

でも食べさせることを諦めてしまったら…。

毎日気持ちはゆれます。

夜中、咳き込む母の背中をさすっていたら、不意に母が「ありがとう」と口にしました。

母にこんな風に他人を思いやる気持ちが残されているのに驚きました。

やっぱり母にはまだ元気でいてほしくて、何とか食べられるように試行錯誤の毎日なのです。

 

飲めるかな?飲めるといいな

食べ物を飲み込むのが難しくなってしまったた母の食べる量が、急に少なくなってしまいました。

一時は寝ている時間が急に増えて、「もしかして老衰?」、本当にドキドキしました。

少ないときは1回の食事で50CCを飲ませるのがやっとというときもありました。

今は起きていることが増え、水分も500CCから600CCほど飲めるようになりました。

起きているときは、やっぱり叫んでいます😅。

このまま飲む量が維持できるように願うばかりです。