窮屈な介護
「歯磨きした?」母にそう尋ねると「したよ。」と答えるようになった。
してないんだけどね~。
父は前から、そうだった。
してないのに、「したよ」
「ハンカチ持った?」「薬飲んだ?」
確認もしないで、「持ったよ」「飲んだよ」
良くとれば、その気になってるだけ。
悪くとれば、めんどくさいんでしょ。
父の場合と、母の場合は少し違う気がする。
だが、高齢になれば、多かれ少なかれ、めんどくさい気持ちにはなるだろう。
体を動かすのがしんどい、わからなくて考えてするのが大変、忘れてしまう。
きっと、いろいろな理由があるのだろう。
めんどくさくなるのもわかる。
でも、普段の生活の中では、つい「やってないでしょ」と、指摘してしまう。
考えるより先に、口が出てしまう。
世間一般の普通なことが、普通に出来ないこともある。
鬱とかいろいろな病気を持つ私は、よくわかっているはずなのに。
介護はいろいろ難しい。
父が誤嚥性肺炎で入院したことがあるので、歯磨きはどうしても気になってしまう。
父には歯磨きする能力は十分ある。
ひとりで暮らしていれば、歯磨きするしないは自己判断になり、他人から何も言われないで済むのだらう。
ただ一緒に暮らしていると、そうはいかない。
こちらも長く元気でいてもらおうと思うと、ついつい口が出てしまう。
本人の望んでいる介護と、本人のための介護が、全く同じとは限らない。
なるべく本人の気持ちに寄り添うようにしないと、窮屈な介護になってしまう。
どうも私の場合、一生懸命がんばると、窮屈な介護になってしまうようだ。